茨城の御前山にて暮らす。

気が向いたら適当に書き散らかしています。

父ちゃん、お帰りなさぁ~~い・・・・・・・

仕事も早々に終わらせて、帰りは首都高速で帰る。
渋滞もなく一般道の滞りもなく自宅に着いた。
  
ヒャヲォ~~~ン! ヒャン!!ヲン!!
あ、父ちゃんだぁ、父ちゃんお帰りなさ~~~い。
早く中に入ろうよ。おいらよゐこしていたからね。
今日は・・・・・・・・だったんだよ。
これは昨年末までのぶうごん。
我が家の警備を進んでかって出ていた。
雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうが・・・・・・
雷の時だけは自宅避難なヘタレでしたがね。。。。。  
   
それが、玄関を開けると
ヒャヲ~~~ン、ウォンウォン!!
父ちゃんお帰りなさい。おいらよゐこにしていたからね。
早くご飯頂戴よ。ご飯頂戴!!
これは今年のぶうごん。
体が不自由になっても室内徘徊で、気分体調が良ければ表でシェスタしておった。
彼なりに頑張っていた。
 
 
 
 
BoB,ただいま、よゐこにしていたか? 
父ちゃんお帰りなさい。。。。。。
 
おいら骨になっちゃったけど。。。。。。
よゐこしているよ。
お帰りなさい。
  
今は遺骨でのお迎えとなっていた。
  
何かいいことあったのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無言。
問いかけてももう答えは帰ってはこない。
無言である。
 
 そうだよね、骨になっちゃったもんな、そうだよね。
今は彼が生きていた証としての遺骨でしかない。
  
 
ぶうごん、年々衰えていくのが手に取るように解ってはいた。
山梨で最初に逢った時の右前足の歩様のぎこちなさ、フローリングをしっかりと歩けない腰の甘さ・・・・・・
この2つで長生きはしないな。と思っていた。
それでも本人の“おいらは生きる”ってオーラがみなぎっていたから・・・・・・・
彼が飼主として指名してくれたから頑張ってこれた。
予想が的中して体が不自由になっても身の回りの介護をするのが楽しみでもあった。
寝込んだ原因が「変形性脊椎症」だったのでそれほど他の部位には影響がなかったからでもある。
寝込むようになっても元気なので年を越せるかな?と淡い期待を抱いていた。ダル友で大体寝込んだら2か月でお迎えが来る。
お迎えが来ないように毎日の関節トレーニングとマッサージだけは欠かさなかった。痛がって怒っても宥めすかしてマッサージは欠かさなかった。
ぶうごんだけは違う、
まだまだ生きるんだ!って思っていた。
 
 
 
話は重複しますが・・・・・
 
 ぶうごんの犬生として何度かのピンチがありました。
 
 
最初に2010ごろから右前足を庇うようになってきた。
足を着けて離すタイミングが若干早すぎる、なので他の3本の足並が合わずギクシャク感が目立つようになってきた。
それでもね、駆け出せばシングルトラットで快調に駆けた。
 
2012の夏バテ・・・・・・
夏負けでもう駄目かと思い暑い中を横浜の保護団体に最後の挨拶に行った。
それでもぶうごんまだ体力があったので夏バテを無事乗り切った。
 
 
そして2012年末、脱水症を起こし緊急入院。
この時先生に・・・・・・
まず、前立腺肥大により膀胱が圧迫されています、去勢しているのになんでだろう?かなりの肥大なんですよ。これが膀胱を圧迫しているので膀胱の容量が少なくなっていますね。
尿酸値が180もあります、通常は60程度なんですがここまで数値が大きいと尿毒症にもなりかねません。赤血球も数値が低いので懸念されますし。
 
どうなされますか?
はっきり申しますが、体調としては最悪の部類です。治療して治る可能性は限りなく低いですし治療中に亡くなる場合もあり得ますよ。どうしてもと申すのであれば、、、、、、、
治療方針としては
①筋肉弛緩薬による刹処分。
②このまま苦しむが自宅療養で最後を看取る。
③完治する見込みはないが入院して治療する。
この3つから選択してください。
この3つを提案された、迷うことなく③を選ぶ、普通はこれだろ。治療中に亡くなったら亡くなったで諦める。何もしないで苦しませるのは出来ないよ。何百何千と診療してきた獣医の見立てでもある、かなり正確な状況でもある。それでも、ぶうごんの生きる気力に賭けたかった。
入院して脱水症状は改善なる、尿酸値も100まで下がる。これ以下の数値に下がるのは無理だが今後尿酸値に気を付けて過ごせば大丈夫とも言われた。ぶうごんが病に打ち勝った瞬間でもあった。こうして何とか膀胱に気を付けていれば日々の生活を送れるようになりました。ただ膀胱炎を起こす細菌がころころ変わるそのたびに治療薬を変更するのがわずわらしかった。
  
今年の夏は室内にてエアコンで涼ませた、それでも夏負けになったが回復。
9月と10月に保護団体に元気なうちの姿を見せにも行った。
いつ容態が急変するか解らないからである。
皆さん喜んでくれましたね、「あのやんちゃなパッチが!って」
10月6日までは自分で15m以上歩けた。でも翌日からそんなに歩けなくなった。それでも、室内の滑るフローリングでヨタヨタ歩いてはいた。時折パドリングしながら徘徊して戻れずヒャンヒャン救助要請していたっけ。
そして11月24日、那須までいくも元気が無かった。ごはんも殆ど喰わず水ばかり沢山飲んだ。11月25夜血便、コールタール状ではなく普通のウンPga黒く染まっていた。血の匂いはしなく胆液のにおいがした。続く26日も同様の血便、急に元気が無くなる。。。。。
急いで救急医療病院へ向かう、半夜の検査入院。
朝退院して夕方いつもの病院へ、ここも脱水症と血便でまた入院。
この時も先生に同じことを言われた。
①筋肉弛緩薬による刹処分。
②このまま苦しむが自宅療養で最後を看取る。
③完治する見込みはないが入院して治療する。
の3つを提案された、なんでいつも同じことを言うんだ!!
簡単に殺すなよ。同じ生き物だぞ。飼い主が生かす権利も殺す権利も併せ持っているが同じ生き物だぞ!
迷うことなく③をチョイス、亡くなったら亡くなったで諦める。
ただ、 
血便においてはどの臓器からの出血なのかは検査出来ない。
おそらく食道から胃までの何処かから出血している。
内視鏡を入れるに当たり全身麻酔を掛けての検査なので体力もないので非常に危険である。
入院中に内出血も止まり無事退院でもその時に言われたこと。
今現在出血が止まっていますが再出血したら非常に危険です。
出血してもう一度再出血したら迷わず夜間でも救急外来してくださいね。
念を押された、再々出血があったら・・・・・・と。
無理だと思ったらその場で最後を看取ってあげてくださいね。
とも言われていた。
今回はこの言葉に、、、、、、、
再々吐血もせずにいたが、、、、
異変に気付き病院に到着した時にはぶうごんはもう、、、、、、、
息絶えようかと。。。。。。
 
甘かった!
内出血なんて治るわけじゃない、出血箇所が解らないんだから治療する術がない。おとなしくしていないと出血するのは当たり前だよね、治していないんだから。
病院で亡くなるよりも自宅療養で最後を看取ってあげてくださいね。
もうこれ以上治療する術はありません、あとは飼主様が最後を看取ってあげてください。そうゆうニュアンスも含んでいたんだよね。
こちらとしては病院で亡くなってもいいから最後まで治療をして欲しいと。
そう希望していましたが病院は金銭的負担を考慮していたんでしょうね。
確かに金銭的負担はきついが100諭吉もかからんだろうて。掛けたところでもう治る術は無いと解っていたからこその言葉でもあったんでしょうね。
それでも、治らなくても少しでも楽にしてあげたい、病院なら即座に治療対応できるから入院させたい。そう思うのは当たり前でしょ?
退院したぶうごん嬉しがってはいたが悪化するのも早かった。ヒャンヒャン鳴きわめくのもいつものことで痛がって鳴いてるようには見えなかった。
すべていつも通りの鳴き方だったんですよ。ご飯かおやつか水の所望にした思えなかった、しかし裏を返せばずぅ~~~と昔から痛がっていたことになる。が、血便は出ていなかった。ってことはどこに出血していたのだ?今となってはわかりませんが・・・・・・
ぶうごんの我慢強さがいけなかったのか?
もっと素直に教えてくれれば良かったに。
今となってはすべてが手遅れとなってしまった。
 
とにかく、命の重みには考えらせてしまう。
薬殺処分は一番簡単だよね苦しまずに逝けるから。でもそんなに簡単に刹処分していいのか?生き物だぞ?
自宅療養で最後を看取る?苦しませながら最後を看取るのか?苦しませながらか?
治る見込みは無いが入院して治療する?金銭的に許せばそれでいいじゃないか。治療中に亡くなっても諦めは付くよ。。。。。。。。
もういいや、どう考えようとぶうごんはもう帰ってこないんだよ。
遺骨を見ながらそう考えてしまった。
命の重みってなんだ?
自問自答乱調ですが思いのまま書き綴りましたことお許しください。
 
疲れたね。。。。。。。
少し、、、、、、