茨城の御前山にて暮らす。

気が向いたら適当に書き散らかしています。

お知らせ

本日午前9時35分心肺停止。
 
午前9時45分に
「手の施しようがありませんでした、
            ご臨終です」
を宣告されました。
推定年齢ではありますが、享年12歳と8か月あまり
私的には9歳と8か月あまりと考えています。
 
2007.02.11に
2006.02.11に我が家にきてからかれこれ6年7年と8か月と21日で記録は途切れましたがぶうごんは心の中で住み続けていきます。我が家に来た2006年度のパフォーマンスには目を見張るものがありどうしようかと。お返ししようかと思いましたが彼が飼い主として指名した以上頑張って行こうかと考えらせたのです。自由奔放な性格それは財務省と確執、軋轢を生み出すことにもなりました。それは死ぬまでお互いの溝は埋まることはありませんでした。財務省は飼うことを認めない、ぶうごんはここで暮らしたい。間に入って執り成すのがいかに大変であったか。お互いが無視状態ですから甘えるなんてことは決してなかった。オムツ交換も嫌がって唸る、水も飲みたいが自分で飲めないんで仕方なく飲ませてもらう。。。。。。。
その財務省が、、、、、
お葬式は○○寺の住職にお願いしようかしら。
今夜は通夜ね。
今まで居てくれたんだから最後に気持ち良く見送ってあげなくちゃね。
手際よく物事を進めていた。
ここにきて溝は埋められたがぶうごんはすでに旅立したあと。
それでもぶうごんは嬉しがってくれていると思ふ。
絶対に喜んでいるよな。
どうしようもないほどのやんちゃくれ坊主で幾多の保護団体を渡り歩き山梨にて余生を過ごそうかとしていた矢先に偶然ネットにて彼を知りました。我家のハイパーぷるごんの遊び相手にと応募して初対面で、、、、、、、、、
待ち合わせ場所に現れた彼は車の中で大暴れしながら来ました。後ろ足の肉球がね窓ガラスに張り付いていましたよ(笑)、それくらいパワフルでしたね。しかも、あれほど他人・他犬に対して超攻撃的だった彼はぷるごんと挨拶を交わし何故かリードを持った私に対して暴れることもなく「さあ、帰ろうよ!」と飼い主として逆指名してきました。そのときの保護していた方の驚きようといったら“晴天の霹靂”状態ではなかったのかと思う。人は誰も信じられず山梨で余生を過ごしていて出逢った瞬間に待ちわびていた飼い主が現れた!!そう思ったに違いない。以来、彼の飼い主のに恥じぬよう精進して参りました。
彼は老人、子供を抱いた夫人に対しては物凄い攻撃で当然他犬に対しても同じでしたが刑事事件を起こすでもなく街のアイドルして住み続けてきました。唯一の心を許した友達は近所に住む1頭だけでした、その子を事情があって我家で預かっていたときも仲間に加わって遊んでいたっけ。それ以外はどうしようもない凶暴犬でしたね。が、加齢によりだいぶ大人しくなりやがて茶飲み友達じゃないけどお婆ちゃんと懇意になり毎日逢うのを楽しみにしていたっけ。
それも今日でお終いです。
 
 
私が入院中は寒さが体に堪えるい時期なのに、家屋内に入ることもなく朝から夜まで車庫の前で座って待っていたんですよ、実は。
吹く風は冷たく辛かったろうに、、、、、、
1か月余りの入院中雨が降ろうが、風が吹こうが・・・・・
車庫に座ってじぃ~~~と待っていたそうです。
退院して帰って来て私の姿を認めた瞬間の喜びようっていったらそれはもう・・・・
弱った体でダッシュして飛びついてハグしながらベロベロしまくりで、、、
狂気的な歓迎をしてくれたっけ。。。。
そこまで彼は信頼してくれていたんです。
だから、財務省との確執があろうとも間に入って調整役をしていたわけです。
 
 
2012.12.5に脱水症状で倒れ、以後今日までぶうごんは笑いを振り撒きながらブログを続けて参りました。10月に体調を崩した時には危ぶまれましたが持ち直しましたし、寝たきり状態でも彼は頑張り抜いてきました。
徐々に体調が悪化していったので内臓の病気など微塵も疑っていなかったわけです。唯一膀胱だけは認知して治療に当たってきました。胃のほうだけは解らなかった。血便が出てもどの臓器が悪いのかもう体調的に調べようがなかった。11/24に体調に変化あれどもそれほど重大な変化だとも思っていなかったのも事実です。10月から徐々に寝たきりになっていったので解らなかったのです。
 
沢山の方々の励ましによりぶうごんは今日まで命が続いたと思います。
沢山の激励ありがとうございました。
 
ここにぶうごんに代わり厚く御礼申し上げます。
 
ありがとうございました。
 
最後に、遺影とは言えませんが。。。。。。。
一番やんちゃな頃、2006~2008。
この頃は新潟詣でが多く60度近い泥壁を4駆でパワフルに登っていたんだよね、アイゼンも無いのによくもまあ・・・・・
当然こけて落ちてくる時は受け止めてもらおうと当方目掛けて落ちてくるんで一緒に落ちたこともあったね。懐かしいね彼の所業は、、、、、、、
頭も良く回って倒木なんかの障害物があると乗り越えようとはしない、即座に見渡して迂回する。山の斜面は必ず山側を歩く、万が一落ちた場合は受け止めてもらおうと画策して歩くので谷側は決して歩かない。道があるうちは前を歩く、無くなったら後ろをテコテコついてくる。。。。頭が良すぎたね彼は。
2008年6月かな?十日町スカイラインの某所にて。
まだ残雪残る山の沼でヌタ打ちするぶうごんの写真を飾らせていただきます。
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合掌!
 
ん、坊さん来たな(かつての部下)