茨城の御前山にて暮らす。

気が向いたら適当に書き散らかしています。

あれから8年が経ったものだね

あの日、
2011年1月3日のこと。

悪寒がして吐き気が・・・・・・・


リビングにて吐きながら倒れていたそうな。
プルナスとぶうごんが心配になって・・・・・・
プルナスは腹たんぽ
ぶうごんは背中たんぽ
をして体を温めてくれていたそうな。
ここで病院へ逝けばよかったのだが・・・・・
たちの悪い風邪だな!
としか思っていなかった。

それから寝て・・・・・・・
4日、5日、と寝たきりだった。
で、6日から出社。
まだ頭が・・・・・・
右後頭部が・・・・・
痛むのだが休めない状況だった。

そして、左目が突然抜けたように真っ暗になった。
・・・・・・・・・・・・んだこら!
ここで病院へ逝けばよかったのだが。
7日も我慢して出社。
8日は休んだ。
一向に左目は見えないまま、、、、、、、、
流石に不安になった。


こりゃ病院だな。

欲9日の日曜日、車を運転して桜木町の眼科へと向かった。

受付を済ませ検診までの記憶はあった。





何故か救急車に載せられる記憶もあった。




・・・・・・・・・・ここは何処だ?


気が憑いたら真っ暗な部屋の中に居た。
ここは何処だ?
なんだこの暗闇は??
両手両足、無数の点滴。
鼻には酸素吸入。
んだこりゃ??










頭がいってぇ!
人の気配が・・・・・・・・・
気が付きましたか。
あぁ良かった、助かったんですねえ。
良かった良かった。
微笑む看護師が傍らに居たそうな。

椎骨動脈乖離性出血

椎骨動脈が椎骨に沿って上がってきて脳底へ続く血管。
その血管壁が乖離(剥がれて)して脳底に出血、並走している多数の神経が麻痺・・・・・
椎骨動脈は小脳への血液をも運んでいる。
死亡確率は?%、手術が難しい場所だから。
助かれば後遺症は殆ど出ない箇所らしい。
乖離した箇所は運良く小脳へ延びる箇所ではなかったのが幸い。
それから1か月に及ぶ入院。
通常は2週間ほどで手術なのだが・・・・・・
体力の低下でMRSEに罹患していた。
こいつら点滴穴から繁殖し血管がゴムホースのように固くなる。
挿し穴は化膿して膿が出てくる。
朝夕看護師さんがスプーンで掻き盗っていったね、うん。
ある程度体力が回復したのでバイコマイシン投与。
これでMRSEとはおさらば、ようやく手術の段取りが整った。
塞栓手術よりもバルーンテストのほうが痛かったわ。
倒れた時は神経つうか意識が跳ぶからね痛いもへったくれもない。
テストと手術は麻酔無しで行うからね痛いよ、うん。
鼠蹊部の動脈からカテーテルを入れて・・・・・・・
首筋を這い上がって逝く感触がリアルに感じられる。
バルーンテスト。
血管内にどれだけプラチナコイルで塞栓するかの量を決めるテスト。
普通に流れている血流を止める。
バルーンで血流が止った瞬間、、、、、、、、
頭をバットで殴られた衝撃が奔る!
呼吸が止まる。
でも、脳内血管4本は全部繋がっているので塞栓された反対側から血液が流れる。
兎に角痛い。
テストも居たいが手術もね。
頭を錐で挿すがのごとく激痛に耐えること1時間。
気を失うと覚醒させられるからね。
痛かったわ、もう御免だね。


で、ぶうごん。
毎朝庭に出してもらって・・・・・・・・
夕方家屋内に入るまで・・・・・・・・・
おいら、父ちゃんの帰りを待っているんだい!
雨が降ろうが北風が吹き荒れようともじっと座って待っていたらしい。
律儀な奴だよ。
前の年の暮れに貧血で倒れよぼよぼ状態、それでもひたすら待ち続けていたらしい。
誰にも心を開かず財務省にさえ懐かなかったからね。
それでも亡くなる2週間前には心を開いたっけ。
おいらの飼い主は父ちゃんだけさ、
他は誰の命令も聞かないよ!
車庫の門扉の前に座って帰りを待っていたそうな。
ぶう、今日も帰ってこないから家に入るよ。

退院して帰宅した時の嬉しがりようは半端なかったね。
よほど嬉しかったらしい。
よたよたなのにシャキン!として跳ねまわっていたから。
あれから8年。
プルナスもぶうごんももうこの世には居ない。
月日が経つのは早いものだ。