青葉賞
昔々、80年代は新堀牧場と社台の天下であった。
2年連続荼毘馬を輩出した新堀牧場の和田オーナーは期待をかけた馬がレースに出せる状態に仕上がらず気を揉んでいた。
もう、3月、、、、、、荼毘には間に合わない。
ちょと待てよ!この手があった。
和田オーナー、とんでもないことを思いついた。
2戦2勝で荼毘馬にしてみせる!
はぁ!
1戦1勝では荼毘に出られねえべ?
実はひとつだけ方法があったのです。
荼毘トライアル「青葉賞」が、、、、、、、
2着までに出走権あり、ただし未勝利馬は勝利をもっての権利を有する。
そう、未勝利馬は中央四場に出走できない季節だったのです。
和田オーナー、屋根に岡部を載せてレースに挑む。
で、レース。
岡部騎乗で逃げの戦法。
が直線差し込まれ4着に終わる。
この時点で荼毘出走は夢と消えたそうな。
遠い昔の青葉賞の思い出。
青葉賞はこれだけが思い出に残っているね。