茨城の御前山にて暮らす。

気が向いたら適当に書き散らかしています。

術後の経過

マイクロ・カテーテル・(ステント)・コイル手術をしたのが31日
 
 
それから2月に入り・・・・・・・・・・
 
2月からは救命救急病棟の比較的ベッドの空いている熱傷病室に移された。
熱傷病棟?火事などでの火傷患者さんの病棟ね。
う~~~ん、どんなもんか?キャラの強い方がいなければいいのだが。
しかしそれは杞憂に終わった、なぜならほとんどの方は交通事故での入院患者ばかりだからであった。以外にも交通事故で入院の方も多いのであった。
考えてみれば交通事故は日常茶飯事だもんね。
ついでに個室から4人部屋に変更された。う~む、至れり尽くせりの待遇から何でも自分でやらねばならないのねえ。
同じ病院なのに救急と他の部署との看護師の質が違うのは何故?
すべてにおいて対応の良さを感じられない。
同じ救命救急科だよ?何でぇ??
ナースセンターも切り替わった、もう救命救急患者じゃなく普通の患者。
脈拍その他測定する機器も接続式から無線式の簡単なやつになったので勝手に
移動出来るようになった。
しかし我輩の担当医師と担当看護婦は代らず、先生は代らんけど看護婦の小姐ちゃん休み以外はわざわざ毎朝出張して検温していくのよ・・・・・大変だ!
トイレも申告なしで自由に行ける。
(これ、小用の量を計測され、それによってその日の処方を決める大事な事なのよ)
 
日々身体の具合は良くなっていくのが分かる、頭痛もかなり弱くなってきた。
看護婦の小姐ちゃん最後のご奉仕、、、、、同伴で4階のMR/CT検査室である。
車椅子でドライブね。
1階に降りて中廊下でエレベーターで4階、ここでMRAにてガガガガゴゴゴゴ30分
ほどやってもらい終了。また戻ってくる。
翌日、担当部長の診断。
MRアンギオグラフィにての造影検査でも患部しっかりとコイルリングされていた。
血栓はすべて溶かされて脳内は綺麗になっているとの事ですた。
体の後遺症も出ず、ちゃんと喋れるし話せる。(でも一部もつれるかな)
やることもなし、担当医の説明を聞いて理解したので退院手続きを取る。
入院費もいくら掛かるのか?わからんし。。。。
あとは家庭内でのんびりコンビとリハビリに励むべし。
担当医(執刀医)と脳神経外科部長の2人の見解を聞いていると・・・・
部長のほうは分かりやすく説明してくれるのに執刀医のほうはさらぁ~と説明して
お終い。
しかも財務省にばかり説明したがる。
 
????
 
 
実は、救急車で運ばれてきた時点でもう2回目の出血が始まっており、しかもそれはかなりの出血だったのか?
(グレードⅢとⅣの中間あたりだったそうです・・・・・怖!)
「半身不随~の状態を覚悟しておいてください」と担当医に家内は言われていました。
(道理で見舞いに来るたび気落ちした表情だったもんな、心配かけないように気遣い していたんだよな)
何せ発症直後の死亡率が3割、重篤な後遺症発症率が4割を誇る病ですので
それも理解出来る。
しかも検査によって
「解離性椎骨動脈出血」とさらに死亡率80%と高い部位の出血であった。
(再々出血時のお話よ)
それがこともあろうか・・・・・なんの障害も出ず5体満足で退院を迎える事となりました。もともと、くも膜下出血は脳に直接ダメージを与える病気ではありません、しかし多量な、複数回の出血は脳機能に重大な影響を与えるそうです。
椎骨動脈は脳底動脈となります、ここには上部が大脳、そして小脳、下に脳幹が存在しています。この脳幹にはたくさんの神経が無数に伸びています。
そこに出血ですので影響は計り知れないものが・・・・・・
事実、自律神経をやられました。
まあ、何処の部位の動脈が出血しても影響は大きいのですが。
その他病気の前兆でもあった左眼の出血、以前として視野に障害残っていますがこれは毎日ドンドン小さく縮小していってます。虻から蝿になりましたぞ。
(これはくも膜下出血とは関係が無く高血圧による眼底出血との事でした)
薬の切り替えも順調に進んでいますし、あと2週間で頭内のコイルも落ち着くのでは
なかろうか。